花の散った桜と鶯(うぐいす)
美しく咲いていた桜も,散ってしまいました。寂しい気もしますが,
花の代わりに若葉が出てきて,清々しいさわやかな緑が広がります🌳
幼い頃は,散った花びらを松葉に刺して集めては遊んでいました。
のどかな風景とともに思い出されます。
🌸さて,今回は『徒然草』の一節を見てみましょう。有名な段ですよ(第137段)。
『徒然草』は吉田兼好(卜部兼好,兼好法師)によって鎌倉時代に書かれたとされる随筆です。
清少納言の『枕草子』,鴨長明の『方丈記』と並んで「日本三大随筆」と言われています。
(原文)
花は盛りに,月はくまなきをのみ見るものかは。
雨に向かひて月を恋ひ,たれこめて春のゆくへ知らぬも,なほあはれに情け深し。
咲きぬべきほどの梢,散りしをれたる庭などこそ,見どころ多けれ。
―― 中略 ――
花の散り,月の傾くを慕ふならひは,さることなれど,
―― 中略 ――
よろづのことも、初め終はりこそをかしけれ。
(現代語訳)
桜の花は満開の時にだけ,月はかげりのない満月の時にだけ,鑑賞するものだろうか、
そうではあるまい。
雨を見ながら見えない月を恋いしく思い,室内の簾(すだれ)の中に引きこもって
春が暮れてゆくのも知らないでいるというのも,やはり,しみじみと情趣が深い。
今にも花が咲こうとしている桜の梢や,花が散ってしおれている庭などこそ,
見るべき点が多い。
―― 中略 ――
花が散り,月が西に傾くのを,惜しんで慕う心の習いはもっともなことであるが,
―― 中略 ――
すべての物事も,始めと終わりにこそ興趣がある。
(平安中期以降,「花」は桜の花,「月」は秋の月を指します。) ➣花といえば……
参考:『シグマ 古文の探求』 2002 文英堂
🌳何事においても最盛の時だけでなく,人が評価しないようなものにも
美を認めようとしています。
人生を無常と見,その変化のうちに真の姿や美を見出そうとする考えですね。
冬の桜には春の花や芽吹きの力が,春の桜には夏の気配が感じられます。
桜だけでなく,自然界のものは見えないところで常に移り変わっています。
美しい一瞬を切り取って見るのもいいですが,四季を通して,また,
長い年月を通して見る,目を閉じて美しい情景を自由に思い描く……。
景色の見え方が変わってくるかもしれませんね。
🌸この「花は盛りに(第137段)」の後ろの方,教科書にも載らないところに,
次のような文章があるんです(^^♪
(原文)
継子立(ままこだて)といふものを双六(すごろく)の石にて作りて,
立て並べたるほどは,
取られん事いづれの石とも知らねども,数へ当てて一つを取りぬれば,
その外は遁(のが)れぬと見れど,またまた数ふれば,
彼是(かれこれ)間抜(まぬ)き行くほどに,いづれも遁れざるに似たり。
(参考:山梨県立大学 伊藤洋 徒然草 第137段)
(現代語訳)
継子立てというものを双六の石(碁石の白と黒)で作って立て並べたときは,
取られることがどの石とも分からないが,数え当てて一つを取ってしまうと,
その他(の石)は(取られるのを)逃れたと見るが,またまた数えると,
あれこれ間引いていくうちに,どれも逃れられないのに似ている。
(何に似ているんでしょう? 気になる人は,徒然草を読んでみてくださいね。よく登場するテーマです。)
💛継子立(ままこだて)とは
碁石でする遊びの一種。黒白の石それぞれ15個ずつ,合計30個を
何らかの順序で円形に並べ,あらかじめ定められた場所にある石を起点として
10番目にあたる石を取り除き,順次10番目の石を取っていって、
最後に一つ残った石を勝ちとするもの。
石の排列を工夫して,黒が勝つように,また白が勝つように,
さらに特定の石が勝つようにすることができる。
白・黒を,それぞれ先妻の子と後妻の子に見立てたところから継子という。継子算。
出典:精選版 日本国語大辞典
💗継子立て(継子算)は,室町時代から江戸時代にかけて行われた数学遊戯。
はい,和算です!
次回で詳しく見ていきましょう~ (^^)/💕
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